私、この映画は3回見たわ。
1回目:台湾旅行へ行く機内(映画公開直後)
2回目:三浦春馬さんが亡くなられた後
3回目:2回目の後すぐ、中国人の考察を読んでから
私は中国語できるから、中国人の考察を調べてみたの。
そんなに見たの?(笑)
で、双子の姉妹のどっちが生き残ったと思った?
私は姉のルオランが生き残ったと思ったわ。
3回見ても結論は同じ。
そして、中国人の考察で納得できるものがあったわよ。
2014年に公開された、日中合作映画『真夜中の五分前』。
双子の姉に恋した男。
海難事故で一人だけ生き残ったのは、姉か?妹か?
三浦春馬さんと中国人女優による切ないラブミステリーです。
この映画の中で、三浦さんはほぼ全てのシーンで中国語を話しています。
3ヶ月間、中国語を猛特訓したそうです。
努力家ですね。
この映画は、“結末を観客にゆだねる映画”です。
「どちらが生き残ったか」について、映画内では描かれていません。
監督がそう言っています。
そのため、日本人も中国人も「どちらが生き残ったか」に対する意見が割れています。
「海難事故で生き残ったのは双子の姉?妹?私はこっちだと思う!」と。
みなさんはどう思ったでしょうか。
私は、「姉のルオランが生き残った」と思いました。
(三浦さんと仲良くなった方)
この記事では、「どちらが生き残ったか」について、中国人の考察と私の考察を紹介します。
以下、ネタバレあり。
4,000文字を超える長文ですが、ぜひ最後まで読んで下さいね。
あなたが思った結末が結末
以下は監督のインタビュー記事から。
当初は日本映画として作ろうと思っていたんですが、現在、日本で映画を作る状況というのは閉塞的で、“結末を観客にゆだねる映画”を嫌う傾向にある。
そうしたら、上海のプロデューサーがこの企画に賛同してくださって。それで一緒にやろうということになりました。
『どっちがどっちなのかさっぱりわからない』という人もいるんだけど、そういう犯人探しをするような話しではなく、人をどう愛するのか、という話なんですね。
【インタビュー】三浦春馬が想う「愛すること」 行定勲・監督作『真夜中の五分前』
監督がこのように言っているのですから、結末はあなた次第なのです。
「生き残ったのはルオラン」とあなたが思えばそれでいいし、
「生き残ったのはルーメイ」とあなたが思えばそれでいいんです。
監督が正解を描いていないので、正解はありません。
そもそも、「どちらが生き残ったか」について討論すること自体が不毛なのです(笑)
正解はありませんから。
ルーメイ派 VS ルオラン派
私は、「姉のルオランが生き残った」と思いました。
(三浦さんと仲良くなった方)
しかし、「妹のルーメイが生き残った」と思った方も結構いるようです。
ネット上の「ルーメイ派」の意見(青)と、「ルオラン派」の私の意見(赤)を、対比させながら紹介します。
事故後、ベッドで目を覚ました時に、ティエルンの手を握った。
だから彼女はルーメイ。
ルオランは元々ティエルンに好意を抱いていた。
リョウと知り合った時間よりも、ティエルンに好意を抱いていた時間の方が長い。
ティエルンが顔に触れて来たから、その手を握った。
プールで泳げない事を確かめるルーメイ。
そして泳げなかった。
ルーメイはカナヅチ。
だから彼女はルーメイ。
彼女は”泳げなかった”のではない。
”泳がなかった”のだ。
リョウに自分がルーメイだと信じ込ませるため、わざとリョウの目の前で飛び込んだ。
最後に腕時計をリョウに返した時、時計は5分遅れではなかった。
ルーメイは「5分遅れの秘密」を知らないから、ルーメイが時計の針を修正した。
ルオランは旅行先のモーリシャスからリョウへ手紙を送った。
そこには「これからは、5分遅れでも5分後でもない、今を生きたい」と書かれていた。
時計の針が正常な時間だったのは、ルオランの「今を生きる」という決意の表れ。
自分はルーメイだと言っているからルーメイ。
その道理が通るなら、映画なんて作れねぇよ・・・(笑)
最近の人は「映画に出てきた事をそのまま理解する事しかできない」人が多いのかもしれませんね。
だから監督も「この映画は日本では作れない」と思ったのかもしれません。
中国人の考察
意外な考察に納得
私は中国語ができるので、中国語で調べてみました。
ここでは、「日本のネットでは見かけなかった、中国人の考察」を2つ紹介します。
生き残ったのはルーメイ。
なぜなら、蝶がリョウの所に飛んできたから。
中国では、蝶は「人が死んだ事の象徴」だから。
姉のルオランが死んで、リョウの元へ蝶となって飛んできた。
この事は今回初めて知ったのですが、どうやら中国ではそういう文化があるようです。
「人が死んだ後、蝶になって会いに来る」という考え方があるようです。
双子の姉妹は、子供の頃から入れ替わる遊びをしていた。
いつの間にか、入れ替わったまま生活していた。
それが大人になるまで続いた。
それを二人とも知っているが、周りに隠していた。
だから、ルオランは本当はルーメイで、ルーメイは本当はルオラン。
子供の頃
映画冒頭の、石を投げて窓ガラスを割るシーンの赤い服の女の子は、ルオラン。
実はルオランの方が活発で、ルーメイの方が内向的だった。
内向的なルーメイは、いつもルオランに嫌がらせをされていた。
内向的なルーメイは、ルオランにブランコを押されて落ち、頭にケガをした。
我慢の限界が来た。
ルーメイは「入れ替わり」を提案する。
そして出来上がったのが、
- 「ルオランとして生きているルーメイ」(大人の時点で内向的なルオラン)
- 「ルーメイとして生きているルオラン」(大人の時点で活発なルーメイ)
そしてそのまま大人になった。
事故後
ルオランが生き残った。(「ルオランとして生きているルーメイ」の方)
片割れは、この事故で死んだだろう。
ルオランは、本当はルーメイ。
これからは、自分は”ルーメイ”として生きる。
私がずっと望んでいた仕事も旦那も、ルーメイとして手に入れる。
だって私がルーメイなのだから。
私はこの「考察2」を支持します。
つまり「双子が子供の頃に入れ替わったまま生活し、そのまま大人になった」説。
「考察2」を読んだ後、3回目を見ましたが、「あぁ、なるほど」と一番納得できました。
ルーメイのこの言葉にも納得
事故後、変わってしまった自称ルーメイに、ティエルンが「お前は誰だ」と詰め寄ります。
その時、自称ルーメイが
「你从一开始 就沒有爱过如玫」
(あなたは最初から ”ルーメイ”を愛してなどいない)
と言います。
この部分も、納得できました。
なぜなら、「私が本物のルーメイで、あなたが愛していたのはルーメイのフリをしたルオラン」だから。
日本語では、例えば名前が真由の人が自分自身を指して「真由は~」と言いますね。
中国語では、自分を名前呼びしません。
名前呼びしている人がいたら、完全に頭のおかしい人ですね。
ですから、本当にルーメイだとして、ルーメイが自分自身を指して「ルーメイ」と言うことはありません。
このセリフは、キーポイントになっていると思います。
私の考察
生き残ったのはルオラン
先ほども書いたように、私は、「生き残ったのはルオラン」だと思いました。
なぜなら、
- 事故後、自称ルーメイに活発さが感じられない
- 事故後、自称ルーメイは髪を巻いていない
- 事故後、モーリシャスの教会へ置いてきた腕時計を取りに行った。そしてリョウにその腕時計を返した。
生き残ったのがルーメイだとして、ルーメイが腕時計を取りに行くでしょうか。
しかも、それをリョウに返しに行く。
つまり、その腕時計はリョウのものだと知っていた。
ルーメイは一方的に、「私達姉妹は、何でもシェアしている。何でも分かり合える」と思っています。
ルーメイは、自分の身の回りの出来事を何でもルオランに話していたのでしょう。
だからルオランはルーメイとティエルンの思い出のレストランの話を知っていたのです。
しかし、ルオランは「ルーメイに何でも話す」という事はないと思います。
だからルーメイはルオランが泳げるようになった事を知らなかったのです。
ですから、ルーメイはルオランの身の回りの出来事を詳しくは知らないはずです。
「リョウがくれた腕時計」である事も、知らないのでは?
あと、女性なら分かると思うんですけど、髪を巻く人って、いつも髪を巻くんですよ。
事故前のルーメイはプライベートでいつも髪を巻いていたのに、事故後の自称ルーメイは全く髪を巻いていない。
ルオランはいつもストレートヘアでしたよね。
頭の傷跡について
もう一度、考察2を復習。
双子が子供の頃(入れ替わる前)は、ルオランが活発で、ルーメイが内向的だった。
ルーメイが乗っているブランコをルオランが押して、ルーメイは落っこちて頭にケガをした。
本物のルーメイの頭には、傷跡がある。
ルオランとリョウが初めて会った時、そのルオランは「ルオランとして生きているルーメイ」。
事故ではその「ルオランとして生きているルーメイ」が生き残った。
そして彼女は「ルーメイ」として生きる事にした。
つまり、
- リョウに頭の傷跡について話したルオラン
- 事故後、リョウに頭の傷跡を見せたルーメイ
この二人は、同一人物。
ルオランは、「ルーメイはブランコから落ちたのは自分だと言っている」と言っていました。
ルーメイ(として生きているルオラン)は、”入れ替わる”前に本物のルーメイに起こった事も、自分の体験として語っているのです。
だって自分はルーメイなのですから。
まとめ
みなさんはどう思いましたか。
ぜひコメント欄で教えてくださいね。
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